2017年 08月 06日 ( 1 )

特別大演習観艦式

阪神間モダニズムの講座のつづきです。

昭和5年(1930年!)は阪神間にとって一大イベントとなる
観艦式がなんと神戸沖で明治41年以来実に22年ぶりに
行われることになりました。
阪神間は大盛り上がり、大フィーバーだったことでしょう。
ずっと神戸沖で行われてきた観艦式は明治42年からは横浜沖へ
移ってしまったそうですが、神戸市長、兵庫県知事は神戸沖での
開催を陳情し続けて、晴れて昭和5年10月に神戸沖にて
開催の運びとなったそうです。

10月10日から16日は参加艦艇を赤軍、青軍に分けて各軍で単独演習。
18日から21日までは赤軍対青軍の対抗試合をして演習は終了。
23日には160隻以上の観艦式に参加する艦艇が会場に集まり、
24日に予行演習、26日は観艦式本番、という行程だったそうです。

神戸沖が先頭で、それは尼崎まで続いたという100隻を超える艦艇は
それはそれは壮観だったことでしょう。
70万とも言われる拝観者の大群が阪神間へ押し寄せる大人気ぶり。
その様子は今でもインターネット上で公開されているので簡単に
見ることができます、なんて良い時代になったのでしょうか。
講座中にも先生がその映像を見せてくださいましたが、
画面いっぱいの人垣が想像を絶する人気ぶりでした。
わずか数十年のあいだに国の威信をもって世界第三位へと
築きあげられた日本海軍。
後に辿る道を知る私たちからしてみれば、
なんとも言われぬやるせない思いにかられます。
けれども当時の人々にしてみれば、とんでもない!
素晴らしいことと認識され、大変誇りに思っていたことでしょう。
それがたとえ悲劇惨劇の渦中であったとしても。
のぼせやすく”正義”を信条としている私は、
もし当時の日本に生まれていたとしたら、この神戸沖での観艦式を
興奮と熱狂で迎えていたことと思うので、
当時の人たちを非難する事はできません。
冷静に大局的にものを見ることの大切さを痛感しました。

神戸沖での観艦式は、この後昭和11年にも開催されたそうです。
この時には県指定の拝観所が設けられ、六甲山頂だけでも5万人が
続々と夜明けからつめかけたということでした。
防寒具、弁当持参の拝観者の大群で身動きがとれない状態、
と当時の大阪朝日新聞が伝えています。
身動きがとれないのに弁当持参というのが、
いやもうタイヘン!とりあえず食べるもんは持っていかな!
という雰囲気が伝わってきて人々のヴァイタリティを感じます。
阪神間の人々にとっては地元開催の大イベントだったことでしょう。
夜間は各艦艇がサーチライトを照射して
夜空を明るく照らしたそうです。
それを見る人の心はきっと明日への希望を抱いたことでしょう。
 人々の希望を照らす探照燈 希望はふくらむ明るい未来

紀元2600年を記念した観艦式が横浜で開催されたのを最後に
それ以後は観艦式は開催されなかったそうです。
”昭和5年特別大演習観艦式”という言葉で検索をかければ、
件の映像を見ることができます。ご興味のある方はドウゾ。
それにしても、これほど熱狂的な催しが行われていたことなど
これまで一度も聞いたことがありませんでした。
私の親族に戦前の阪神間を知る人がいないせいかもしれませんが、
誰からもこの話を聞いたことがなかったのは不思議でなりません。

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by orochon3 | 2017-08-06 13:59 | 日記 | Comments(0)