サスケくんの日課

サスケくんはちっちゃな時から「お風呂」が大好き!
と言っても湯船につかるのではなく、
濡れたタオルで体中を拭いてもらうのです。
グルグルいいながらうっとりして拭いてもらっています。
これが、サスケくんの「お風呂」。
彼はこれがだ〜い好きで、脱衣場でスタンバイしているか、
「サスケくーん、お風呂よー」と呼ぶと、どこからともなく
ニャアアアンと言って走ってきます。
毎日、多い時は朝と夜にお風呂。
だからいつもフカフカのツヤツヤなわけ。

茶色い毛にエメラルドの瞳がよくあって、ハンサムなサスケくん!

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そして、彼の日課はお手伝い・・・ではありません、ね。
大好物の鶏肉をそおっと失敬しようとしている、立派なドロボウ猫クン。
シッポがチャーミング!!

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by orochon3 | 2005-05-31 23:09 | その他(ほぼお酒) | Comments(0)

凄絶という言葉がぴたりとあてはまる人生でした。
そもそも、私が初めて絹代サンを観たのは何だったか。
もう忘れてしまいましたが、ずいぶん前に「マダムと女房」を観て、
なんてカワユイ!と一目惚れでした。
「花籠の歌」とか「男の償い」「新道」(モチロンどれも戦前の作品)と、
どれを観てもカワユイ。
ちっちゃくて、でも色っぽくて、洋装も和装もどちらもお似合い。
とりわけ、彼女の特徴的な声が好き!ひそめた眉も好き!
でも、そんな作品を撮っている時も、彼女は戦っていたんですね。
貧しい家族を大阪から呼び寄せて養い、母親の為に鎌倉山に絹代御殿を建て、
稼ぎに稼いで、“大恩ある松竹”の為にも働いて、大幹部のスターの座を勝ち取り、
おしもおされぬ大女優となるくだりは、寝るのも惜しく読みふけりました。
そして、戦後。
アメリカ帰りに洋装で投げキッスした絹代サンは大ヒンシュクをかってしまって、
大きな壁にぶちあたったけれど、溝口健二とコンビをくんで起死回生。
このくだりもまたおもしろく、続きが読みたくて早朝から起きてしまいました。
作品としては、「流れる」がだんぜん良かったです!また観たくなってしまった。
そして、小さな頃に観た「サンダ館八番娼館」の老婆、コワカッタ思い出しか
なかったけれど、この本を読んで、もう一度観なくては、と改めて思いました。

戦前の松竹をはじめとする映画界の黎明期、スターにのしあがっていく絹代サン。
戦後の動乱をのりこえて花開く映画界で、必死で演じ君臨する絹代サン。
どちらの絹代サンも大好き。
でも、晩年、病魔におかされ、突然の入院からあっというまもなく亡くなって、
その時には病院の支払にも困っていたなんて。そして臨終には周りに誰もいなくて、
たった一人で逝ってしまったなんて。
幸せ、なんて、何が幸せか、なんて、簡単には答えは出ません。
一生、ヒトのことを悪く言わない「田中絹代」という女優を演出し、
みごとに演じ続けた絹代サンは、だからこそ、みんなに愛されたのですね。

清純派から演技派へ、老いも何もかもを乗り越えて、死ぬまで演じ続けた
文字通り「映画と結婚した」銀幕の大スター!こんなひと、もういないでしょうねぇ。

奇しくも、古川薫さんの本は二冊目でした。
これも大好きな児玉源太郎さんを書いた「天辺の椅子 日露戦争と児玉源太郎」
という作品。古川薫さんも絹代サンも源太郎さんも山口県出身。
そして、私も。母方の祖母は山口出身なのでした!

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by orochon3 | 2005-05-24 23:55 | | Comments(0)

サスケくん強化月間!

珍しいお外のサスケくんです。
実は彼、芦屋川部屋の若草山という四股名も持っている!のだ。
稽古に余念のないサスケくん。

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by orochon3 | 2005-05-19 23:03 | その他(ほぼお酒) | Comments(2)

コンニチハ!

来月は我がサスケくんのお誕生月です。
ノラ猫ちゃんだったので、正確なお誕生日はわからないけど、
六月のある日、握り拳よりちっちゃなサスケくんと出会って、
三回目の六月がやってきます。
ちっちゃかった頃と今の姿と、記念に載せておこう。
おっきくなったネとは言っても、絶対に太ったネなんて言わないデ〜

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ちなみに、彼は新聞が大好き!
新聞を広げるとどこからともなくやってきて、
ウニャと言いながら横たわり、独り占めしてます。

追記;これが今のサスケくん ↓ やっぱり大きくなりすぎかしらん。

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by orochon3 | 2005-05-14 14:23 | その他(ほぼお酒) | Comments(0)

人生のお荷物

田中絹代サンのカワユイ声から始まるこの作品、
実に、実に、素敵な映画でした。

とにかく、絹代サン。いえ、絹代チャンと呼ばせて。
彼女の魅力がビシバシとこちらにとんでくるような。
何もかもが小さくてカワユイ。
前半の黒いロングドレス姿、それに襟巻きをして帽子を
ちょこんとのせた外出姿、小脇に持った小さなバッグも素敵。
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彼女のどこが好き?たくさんあるけど、ワタシは、ちょっと片眉をあげて
ちょっとえらそうに、エェェ?といった表情をした時が一番好き。
後半での着物姿では、お太鼓の山の形がとんがってておもしろい。
女中さんのお太鼓は普通に平らだったので、あれは着こなしの個性なのか?

絹代チャンの妹がお嫁に行きました。
披露宴は大きな料亭のような所で開かれた様子。
参列者の中に、留袖を着ているのが見えました。
花嫁の母ももちろん留袖でした。髪もキレイに結っていました。
お年を召したご婦人方は、おしなべて留袖でも帯位置がとても低く、
とてもゆったりとでもキチンと着ている姿にはホレボレ。

その花嫁花婿が紀州・白浜へ新婚旅行へ旅立ち、花嫁の父は、
がらんとした家に帰り、葡萄酒を小さなシェリーグラスで飲む。
その葡萄酒も飲みかけのものに栓をしていたのを開けていましたが、
飲みかけの葡萄酒を冷蔵庫に入れるでもなくそのまま又栓をして
戸棚にしまっておくなんて、信じられません。
酸化しないのかなぁ・・・こういう場面よく出るけれど、
いつもすっごく気になってしまう。
葡萄酒というよりもウィスキーとかブランデーのような感覚でしょうか。

葡萄酒を飲みながら、夫婦は多忙な一日の脱力、疲れで口論となり大げんか。
とうとう別居という段にまで発展してしまいますが、
花嫁花婿が新婚旅行から帰る日に間に合ったかのように、二人は仲直り。
家出から帰る母と一緒に車に乗り込む絹代チャン。
やっぱりこのヒトには誰も勝てないなぁ。

ちなみに、娘の仲人さんに飯田蝶子サンが!うれしや。
小さな男の子、寛一クンもとってもカワユイ。配役はコチラ。

昭和10年・製作=松竹キネマ/監督・五所平之助


こちらは、披露宴のあと、お父さんと話す娘、絹代チャン。
ドレス姿で出席か、すてき、すてき!
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by orochon3 | 2005-05-13 22:31 | 戦前松竹 | Comments(0)

和装への道「留袖」

着実にお稽古を重ねています、ワタクシの着物道。
あれから、紬などの織りの着物から、染めなどの柔らか着物の着方を習い、
途中に浴衣や半幅帯もはさんだりして。
帯も名古屋から袋帯へと進んで、いよいよ留袖にまで到達いたしました。
スゴイスピード!こんなにつめこんで、忘れないのだろうかと心配。
(注:モチロン留袖なんて持っているわけもなく、母のを借りて稽古しました)

留袖がきちんと着られたら、他の着物はだいたい何でもOK!というくらい
留袖は着るのが難しいとは言われていたけど、こんなに大変だとは
正直思いませんでした。重い。すべる。重い。すべる。のくり返し。
一度着たら、もう二度と脱ぎたくないくらい、しんどいです。
でも稽古だからと、えいやと脱いでまた着る。そしてまた重い。すべる。
とりあえず、本格的に暑くなる前に、留袖まで進んで良かった。
充分今でも暑かったけれど・・・だって帰って脱いだらスゴイ汗。
じゅうぶん陰干ししておきました。

そしてふと考える。
今後私の人生において、留袖を着る事なんてあるだろうか???
親戚連中を見渡しても、ありそうにナイ。
・・・ってことはこのお稽古は無駄だったの???
せっかく出来るようになったのに。母に愚痴ったら、ひとこと言われました。
「仲人も留袖着るのよ」
えっ?!もうそんなトシなわけですか、ワタシ?!

たまには写真、載せてみます。
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誰でも知っている事かもしれないけど、恥ずかしながら初めて知ったこと。
上半身が真っ黒、裾に模様が入り、五ヶ所に紋が入ったのが留袖ですね。
昔は、このスタイルで袖が振り袖ほど長いものを着て、角隠しでお式をあげ
お嫁に行ったのだそうです。そして結婚後に袖を短く切ります。
だから、留袖は既婚者が着るもの、となっているそうです。(未婚者が着るのは色留袖)
とにかく、留袖は一番格が高い着物だそうで、色々とタイヘンなのだそう。
洋服の世界でもローブデコルテとかローブモンタントとかありますものね・・・
着たことはないけど。
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by orochon3 | 2005-05-09 23:21 | 着物 | Comments(2)

「あゝ野麦峠」山本茂実

ある製糸工女哀史、とサブタイトル。
このあいだ読んだ「女工哀史」の女工さんは紡績、織布の女工さん達でしたが、
私の中で女工さんというと製糸工場の方が馴染みがありました。
蒸気がもうもうとしている広い工場の中、粗末な着物を着て髪を乱し、
一心に糸を引く女たち、というのが女工さんのイメージでした。
そんな彼女たちがとんでもなく貧しい農家で育ち、家族のために、
口べらしのために、岡谷の工場へ糸を引きに行く時に越えたのが、野麦峠。

きわめて原価率が高いという生糸産業は、それでも当時、
開国間もない日本国内で、材料の100%を国産でまかなって外貨を稼ぐ事のできる
唯一の優等生な産業だったのでした。
それでは、その稼いだ外貨はどこへ消えていったのか?
日清・日露の戦いに、開国間もない日本が一応は勝利しましたが、
その勝利に酔っていた国民は、日清戦争での勝利の鍵となった新兵器や、
日露戦争で東郷元帥が率いた連合艦隊の大艦隊を、どうやって日本が買ったのか、
そのお金がどこからきたのか、『考える余裕すらなかった』のでした。
彼女たちの過酷な労働の上に成り立っていた新しい日本。
小学校の歴史の授業を思い出しました。ということは、習った事をすっかり
忘れてしまっていたのです。思い出して良かった。

驚いたのは、不健康で厳しい環境の中での過酷な労働と待遇でむしばまれていた
彼女たち自身が、「冷遇」されていたと思っていた者が少なく、
実に50%の者が「普通」だと思っていた、ということでした。
当時はみんなそうだったから、特別に自分だけが辛いと思わなかった、と。
だから、彼女達自身は「女工哀史」だとは思っていない、と。
そればかりか、工女部屋は汚く豚小屋以下だったかもしれないけれど、
それでも彼女達の育った家よりはるかに衛生的だったし、少なくとも、
食べる物もあったというのです。

『人間は他と比較することによってのみ自己の立場を知るものだとしたら、
彼らにとっては工場生活は哀史どころか、それは生活の一歩前進と考えるのも
無理はない。つまりそれはとりもなおさず日本農村の底知れない貧しいみじめさの
象徴であった』

『女工たちは、繭よりも、繰糸枠よりも、そして彼らの手から繰り出される
美しい糸よりも、自分たちのほうがはるかに尊い存在である』
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by orochon3 | 2005-05-03 23:17 | | Comments(0)