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昨日は久しぶりに仲良しの友だちとランチに行きました。
彼女命名”洋食の会”といいます。 いつも近場の(どちらかというと)庶民的な洋食屋さん に行っていたのですが、今回はちょっとリッチな気分。 彼女は小学校の時バスで通学していたらしいのですが、 その時に窓から見える建物がいったい何なのか? ずっと疑問に思っていたそうなのです。 それが最近になって洋食屋さんだった事が判明し、 行ってみたいんだけど、と言うので、 それは是非とも行きましょう!となったのです。 お店は神戸高校の前あたり、そして我らの母校の近くでもあります。 お名前は精養軒と私好みな良い名前。 佇まいも昔ながらの良い雰囲気。 ところが、、、一歩お店の中を入るとビックリ! 店内は素晴らしくモダンです、ちょっとした中庭があり、 ゆったりとした配置のテーブルが心地良く、 静かでゆっくりと食事ができる、穴場のお店だったのです。 ハンバーグ&海老フライの”精養軒ランチ”というのが目をひいて、 それはまさしく洋食の王道ですから有無を言わさない。 けれど私たちは自他ともに認めるクリームコロッケ好き! カニクリームコロッケがどうしても食べたいのです。 単品で二個入りだったのでそれをひとつとって分けることにしました。 間もなくスープが運ばれました。 かなりたっぷりのスープ、葱と冬瓜のクリームスープ。 後々考えるに、このスープは美味しいけれど量が多すぎでした。 そして、待望のカニクリームコロッケの登場。 単品(二個入り)で1,100円、高い?と思いましたが、 いえいえ、ものすごいカニの量だったので二人とも納得。 カニの存在感が強いのにクリームもしっかりしていて、 トマトソースがまた素晴らしい。バランスのとれた、 近来まれに見る美味しいカニクリームコロッケでした。 そして精養軒ランチがやってきました。 まずビックリしたのが、開いた海老の海老フライ。 小振りではありますが、身があつくプリプリで美味しいです。 タルタルも昔食べていたような懐かしい味。 ハンバーグも小振り?と思いきやたっぷり重量があり、 ハンバーグ自体にしっかり味がついていて、そこへデミソースが 控えめにかかっているのが好ましい。そして美味しい! 下に隠れているスパゲティもケチャップ味で王道をいっています。 サラダのトマトはちゃんと皮をむいてあり、胡瓜までが新鮮で美味。 デミタスカップに入っているのは温泉卵です。 上にかかっている茶色いのはポン酢ジュレ、かき混ぜて食べたら、 お口なおしにピッタリで、なんとも憎い一品でした。 スープ、ご飯かパン、コーヒーか紅茶がついて1,600円也。 ご飯は少なめにしてもらったものの、 食べられるかなー?と心配したのは無駄なことでした。 すっかりたいらげて大満足! これまで数軒まわった中でも私はここが一番気に入りました。 友だちの40年来の思いもようやく遂げることができたし、 本当に良いお店を知る事ができて、感謝感激。 接客をされているコックさん達がまた気持ち良くて、 是非また行きたいと思うお店でした。 この日私たちが注文したセットは、友だちが ”青谷の夢セット”と命名しました。ナイス! 積年の思いを遂げし精養軒 優雅な午餐青谷のゆめ (精養軒のHPはコチラ → ★ です)
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by orochon3
| 2017-08-09 12:37
| 洋食会
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台風、実に速度が遅いですね、、、。
今朝はゴミの日、 ということで4冊の日記と手帳を処分しました。 そのうち一冊は1995年のものでした。 1995年の日記は実は二冊あって、 一冊は1月16日で終っています。 今日処分したもう一冊の方は1月17日から始まっていて、 これは1月17日に書いたのではなくて、だいぶ後になってから 思い出しながら数日分をまとめて書いたのを覚えています。 今日は頁を開かずに処分しました。 あの年は、地震だけでなく本当に色々なことがありました。 地震をはじめ自然災害はそれ自体の被害と、 その後から次から次へと様々な被害がやってくるのだということを あの時初めて知りました。 衣、食、住、職、そして心。 私は相当恵まれていました。 知っている人だけでなく知らない人にも助けてもらいました。 けれど、同じく傷ついたこともたくさんありました。 自分が逆の立場にたった時に、どのようにすべきなのか、 よくよく考えた、たいへん勉強になった年でした。 それが実践できているか、いい歳をしてまだわかりませんが。 経験をして言えることは、備えは忘れてはいけませんが、 辛かったことは忘れます。悲しかったことも忘れましょう。 そしてこれは大事、お世話になったことは絶対に忘れないように! 当時私にとって何より良かったのは、 ひとつひとつに対して泣いたり憤ったりするひまもないくらい 次々にいろんな事が起こったことです。 まだ28歳で、じゅうぶん対応する力がありましたから。 若さってスバラシイ! 今日は延期になっていた全国高校野球大会の開会式。 若い人たちが汗をかいてひたむきにうちこむ姿が こんなに元気をもらえるものだとは知りませんでした。 若い頃はただただ暑苦しく汗臭い!ものだと思っていたのです。 若さの貴さを知ることができたのは、 歳を重ねたおかげでしょう、老いもまたスバラシイ! 青空にましろき雲のわき立ちて開会式に胸わきおどる
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by orochon3
| 2017-08-08 10:35
| 日記
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大きな台風が列島を縦断しています。 NASAの飛行士が撮影に成功して、大きな台風!と驚いたという ニュースを聞きましたが、なんという時代になったのでしょう。 人類の進歩はもう少しゆっくりでも良いような気がします。 大きなショッピングモールの中で仕事をしているのですが、 お弁当を持って行くと言います。 いろんなお店やスーパーも入っているというのに、 よっぽどお弁当が好きなのでしょう。 最近は暑くて4時頃から目が覚めているので 朝5時に用意するのはまったく苦痛ではないし、 お弁当のおかずに色々文句を言う人でもないので、 好きなように作らせてもらっています。 なにせ、白いごはんがたっぷり入っていればご機嫌さんですから。 たっぷり食べて元気で頑張って頂かないといけません。 とは言え、ほぼ二合は食べ過ぎではないかと思います、心配。 台風のせいか風がよく通って昨日までの暑さが嘘のようです。 きっと明日になれば今日の涼しさが嘘のように、 またうだるように暑くなるのでしょうね。 雨風の吹き荒れる空を所在なくじっと見つめる台風の午後
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by orochon3
| 2017-08-07 15:00
| 日記
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阪神間モダニズムの講座のつづきです。 昭和5年(1930年!)は阪神間にとって一大イベントとなる 観艦式がなんと神戸沖で明治41年以来実に22年ぶりに 行われることになりました。 阪神間は大盛り上がり、大フィーバーだったことでしょう。 ずっと神戸沖で行われてきた観艦式は明治42年からは横浜沖へ 移ってしまったそうですが、神戸市長、兵庫県知事は神戸沖での 開催を陳情し続けて、晴れて昭和5年10月に神戸沖にて 開催の運びとなったそうです。 10月10日から16日は参加艦艇を赤軍、青軍に分けて各軍で単独演習。 18日から21日までは赤軍対青軍の対抗試合をして演習は終了。 23日には160隻以上の観艦式に参加する艦艇が会場に集まり、 24日に予行演習、26日は観艦式本番、という行程だったそうです。 神戸沖が先頭で、それは尼崎まで続いたという100隻を超える艦艇は それはそれは壮観だったことでしょう。 70万とも言われる拝観者の大群が阪神間へ押し寄せる大人気ぶり。 その様子は今でもインターネット上で公開されているので簡単に 見ることができます、なんて良い時代になったのでしょうか。 講座中にも先生がその映像を見せてくださいましたが、 画面いっぱいの人垣が想像を絶する人気ぶりでした。 わずか数十年のあいだに国の威信をもって世界第三位へと 築きあげられた日本海軍。 後に辿る道を知る私たちからしてみれば、 なんとも言われぬやるせない思いにかられます。 けれども当時の人々にしてみれば、とんでもない! 素晴らしいことと認識され、大変誇りに思っていたことでしょう。 それがたとえ悲劇惨劇の渦中であったとしても。 のぼせやすく”正義”を信条としている私は、 もし当時の日本に生まれていたとしたら、この神戸沖での観艦式を 興奮と熱狂で迎えていたことと思うので、 当時の人たちを非難する事はできません。 冷静に大局的にものを見ることの大切さを痛感しました。 神戸沖での観艦式は、この後昭和11年にも開催されたそうです。 この時には県指定の拝観所が設けられ、六甲山頂だけでも5万人が 続々と夜明けからつめかけたということでした。 防寒具、弁当持参の拝観者の大群で身動きがとれない状態、 と当時の大阪朝日新聞が伝えています。 身動きがとれないのに弁当持参というのが、 いやもうタイヘン!とりあえず食べるもんは持っていかな! という雰囲気が伝わってきて人々のヴァイタリティを感じます。 阪神間の人々にとっては地元開催の大イベントだったことでしょう。 夜間は各艦艇がサーチライトを照射して 夜空を明るく照らしたそうです。 それを見る人の心はきっと明日への希望を抱いたことでしょう。 人々の希望を照らす探照燈 希望はふくらむ明るい未来 紀元2600年を記念した観艦式が横浜で開催されたのを最後に それ以後は観艦式は開催されなかったそうです。 ”昭和5年特別大演習観艦式”という言葉で検索をかければ、 件の映像を見ることができます。ご興味のある方はドウゾ。 それにしても、これほど熱狂的な催しが行われていたことなど これまで一度も聞いたことがありませんでした。 私の親族に戦前の阪神間を知る人がいないせいかもしれませんが、 誰からもこの話を聞いたことがなかったのは不思議でなりません。
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by orochon3
| 2017-08-06 13:59
| 日記
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昨日はひと月に一回の夏の公民館講座の二回目でした。
あれからもうひと月経ったのか!と驚きつつ、 会場へ入ると意外や人数がかなり減っていてまた驚きました。 前回も今回も恐らく私が最も若いと思われるほどの高齢者ばかり。 この暑い中を出かけるのはやめておいたのでしょう、正解です。 阪神間の都市形成という前回に続いて、今回のテーマは行楽地。 なかなか面白そう!と期待していたのですが、 前半部分はちょっとガッカリ、時代が古過ぎるというのと、 先生の説明と参考の図がとってもわかりにくいのです。 頂いた資料を読んでいるうちに眠たくなるし、、、難儀。 今回取り上げられた阪神間の主な行楽地は以下のとおり。 ・精道村営芦屋遊園地(旧国道以南の芦屋川堤) ・鳴尾百花園(東鳴尾町一丁目あたり、武庫川の堤防沿い) ・香櫨園(阪急夙川駅西側) ・苦楽園(苦楽園一番町から五番町) ・打出浜、香櫨園浜 ・甲陽園(甲山の南麓、御手洗川上流) ・甲子園(甲子園球場周辺) 佐藤愛子の小説『血脈』では、鳴尾が舞台のひとつでした。 イチゴ狩りの話がでたり、川堤でケンカをしたりと 活き活きとした鳴尾での生活が描かれていましたので、 ここだけは先生の説明もすんなり入って来たのでした。 また、佐藤紅緑が夙川の東亜キネマの所長だったこともありましたが、 この東亜キネマは甲陽キネマが前身であったということでした。 また、小坂の帝国キネマの事務所(”帝キネ芦屋撮影所”)が芦屋にあり、 そこからアシヤ映画製作所というのが設立されたというくだりなど、 かねがね気になっていた阪神間の映画製作所についても 駆け足でしたが言及されていたので嬉しかったです。 ひそやかにキネマの天地阪神間 銀幕の夢はいまいずこ そして、私の目がバッチリあいて、興味津々で聞いていたのが 昭和5年に神戸沖で開催されたという『特別大演習観艦式』です! 戦前阪神間で最高に盛り上がったイベント、観艦式については また明日につづく。
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by orochon3
| 2017-08-05 15:03
| 日記
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